消せない記憶
20歳の頃に父が亡くなった
急性骨髄性白血病だった
8ヶ月で亡くなった
大変だったのは、兄がまだ大学生で母も20年以上専業主婦だった
僕は18歳でアパートを借り安くてボロイアパートに
7つ上の女性と駆け落ちした
アパートはその女性の名義で借り
引越し当日、僕をレンタカーで迎えに来てくれた
僕は子供の頃から毎日家を出て行きたかった
色々な資格を取って第二種電気工事士も取った
その会社の先輩に
僕は彼女を寝取られた
その先輩を殺す事だけ考えていた
その彼女とも別れ
2年半後に工事長から引き抜いてもらい
とある工場で下請けの一人親方として働かせ貰えた
その工場は50人中日本人が4-5人しか居なかった
殆どはパラグアイかミャンマー、アメリカ人
僕に仕事を教えてくれたのは
パラグアイの親切な外国の方だった
僕は必死にスペイン語を学んだ
月に50万稼げるといわれ本当に稼げた!
父親にも自慢した
父は職人の会社を経営していた
父が急に白血病と診断された
父以外に運転免許を持つ人が会社に居なかった
皆、沖縄の人だ
ある日僕は母に呼び出された
『兄はまだ大学生だから、お前がどうにかしろ』
母からの命令だった
母は僕が幼い頃からノイローゼのヒステリーだった
僕はその稼げる自営を辞め父の会社へと行った
退職金はのちの父への仏壇代へと変わる
毎日、朝は4時半起き
支度をし、従業員皆を迎えに行った
6時には出発をしなくては行けない
神奈川県の海老名高速ICは区画で僕の会社が請け負っていた
僕は必死に鉄筋工の勉強をした
残業をし渋滞に嵌り皆を自宅まで送った
僕は親の会社の事務所へ日報をつけに行き
そこから毎日、東京の病院まで父の面会に行く
母を迎えに行っていた
父から頼まれていた
白血病は血液のガンだった
父は生命保険には入っていなかった…
東京の病院へは電車代とタクシー代が掛かる
高額医療の適応外の出費や手術がある
ベッド代や臍帯血移植等の輸送代など
全て自己負担だった
毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日
お金が掛かった!
足りない!
請負の現場を終わられ仕事が無くなった
僕ら従業員はノラ猫になった
僕の給料は50万から親の会社へ移り
30万へと減った
毎日応援の現場を渡り歩いた
車にナビが当時は無かったので地図を見た
建築の現場と土木の現場では
一人当たりの人区が2000円も変わる
親は土木工事しか取らなかったスポットの
毎日違う現場を
従業員と共に僕は廻った
職長が父以外に居なかった
僕は何処の現場でも馬鹿にされた
使えない経験のない親方だ、として
誰も守ってはくれなかった、お金が必要だった
辛い現場が多い
従業員が休む、一人区減る!
応援先の会社に怒られる、父や母に怒られる!
従業員を休ませるな!人区が減る!
解ってるよ。
従業員からも不満がでる
解ってるよ。
毎日応援先でイジメられた
父が死に掛けてるという弱み
経験が浅いという弱み
悔しかった
病院から母を実家に送り自分は帰った
帰宅は23時頃、朝は4時半起き!
嫁と子供が居た、犬も飼っていた。
父のせいだ!
毎日嫁から子供のことを話された
立会い出産もした
子供のへその緒を切らせてもらえた!
僕は血だらけだった、でも嬉しかった
嫁が出て行った、子供を連れ
犬と僕が残された
ごめんな。ご飯しかあげれなくて。
休みの日は散歩に連れて行った。
ある日、犬も居なくなっていた
20万近く使った家具も。
父が死んだ
僕は
ほっとしてしまった
やっと!やっと開放された!
本当に毎日毎日。辛かったんだ!!
俺の夢や家族を
全てを犠牲にした!
毎日。少しでいいからもっと寝たかった。
嫁とも話を聞いてあげたかった。
父の葬式をあげた
親戚が沖縄から数人きた。
母が家に親戚を泊めなかった。
クソばばあ!
僕は初めて消費者金融で10万借りた
親戚のご飯代などに
色々お金が掛かった
その後、お世話になった親会社に僕は呼ばれた
『このままお前が親方としてやらないか?』
僕は嬉しかった!報われた気分だった!
母が勝手に断った
母の指示でその会社の従業員となった
数人は他の会社へ行った
給料が下がった
母は
親の名前でやるな!一からやれ!と僕に言った
辛かった。僕の努力は?
その後住民税の請求が来た
僕は、母親にピンはねされていた。
一日12000円だったのが一日16000円となっていた
税金が高い。
くそばばあ!
僕は会社を辞めた。
父が無くなってから相続の話をされた
僕は何も要らなかった
会社の借金が8千万あった
僕と母は弁護士の所へ行って怒られた
マンションや会社、土地は安く売られるみたいだ
僕は何も知らなかった
母と兄が話し合った
僕は紙だけを書かされた
借金だけ相続させられた
全ては競売で格安に売却されたみたいだった
その後、母も肺ガンと糖尿病になった
死んだ
くそばばあ!
僕は小児喘息だった(川崎の)
毎日毎日コーヒー加糖とセブンスター
何本も何本も
どれ程、自分が毎日苦しかったか
小児科いくのに一人でバス乗って病院
あんた看護婦に怒られただろばばあ
何も出来なくてごめん。